ばくだんらいふ

ばくだんハラミの日常ブログ

忘れるべきではないことも多いかもしれない

今週のお題「忘れたいこと」

自分の思う「忘れたいこと」に対する考え方を記述したものです。

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忘れたい記憶も自分の一部

過去をやり直したい

今の記憶を持ったまま自分の人生をやり直したい。

そんなことを日々考えながら一秒未来を生きている人はそう少ないと思うし、自分もその一人。

記憶をなくして再スタートでは同じことを繰り返すだけ、けれど実際は自分を変えない限りはやり直しても大して変わらないかもしれないとも良く思う。

どちらにせよないものねだりで、考えるだけ無意味かもしれない。やり直せない過去を、今すぐにでも忘れたくなるような恥も事件も何事も、考えれば考えるほど心の傷を抉るばかり。それならば考えない方がいいのかもしれないが、思想と後悔は私の人生につきもので、後悔できるから次に備えることもできる

嫌なことも含めて今の自分がいる

「あの時、こう言っていたら」「関わらなければ」「こう行動していたら」「どうしてああなってしまったんだろう」「やり直したい」「やり直せないから忘れたい

憑き物みたいに自分の頭から離れない過去は誰にでもあると思います。

ただそれを忘れられないからこそ今の自分があるのではないでしょうか。

恥や後悔、トラウマといった嫌という言葉では足りないような経験を得て、今それに対して考えることが出来る。その経験から今の価値観が生まれている、経験があるから人の気持ちがわかる、経験があるから自分の事を理解できている。

それもまた、事実だと思っています。

フィクションの登場人物や誰かが書いた記事に対して感情を強く持つときも、過去の経験から共感を得たり、逆にそれは違うと反感したりすると思います。また、現実の相手に対しても「(自分はこういう経験をしたから)」「わかる」「わからない」「違う」「こうした方が良い」「こうしない方が良い」「他の人はこうかもしれない」「こうじゃないかもしれない」、そんな風に言える事が出来ます。

勿論これらは経験がなくとも、自分たちの想像から出来る話もありますが、経験している者としていない者では言葉の重みも確信も、自分がそれに対してどう感じるかも全く違う。

こういったことに対して、皆はどう思うのでしょうか。

良い思い出と嫌な思い出

嫌な思い出に限らず、良い思い出を忘れたいと思ってしまうような出来事も、人にはあると思います。

ただそういった思い出が無ければ今の心の苦しみが消えるとしても、その思い出がない自分はどんな人間なのか、確かなことは言えないと思います。

例えば私だと、好きだった人、友人だった人、過去一緒に暮らしていた猫とうさぎ、楽しかった経験がある日突然苦しみを生む時がありました。

そういった時、自分がその存在と関りが無かったらと思うときがあります。

時々本当にしんどくて、例えば猫とか、数年経った今でも寝ぼけてそこにいると思って(猫が入れるように)毛布を上にあげたり、背中にいると感じて寝返りしないように気を付けたり、部屋の襖が微妙に空いているのを猫だと勘違いしたり、ハッと気づいた時に凄く虚しく、寂しい気持ちになります。

でも、そう思う事ができるのも一緒にいた思い出があるからで、自分の人生に付き添ってくれた存在であり、本当に好きだったと再認識できる。

完全に忘れてしまえば楽なのかもしれないけれど、その時の楽しかった自分と、自分にとって大切な存在を否定するような事は出来れば考えたくないというのも本音です。

今はもう仲良くなれない友人だった人もそう、友人だった時は本当に大切だったし、もっと仲良くなりたかった。

そういった気持ちも、上記の通り今の自分を作っているのだから、どんなに忘れたいと思っても忘れるべきではない記憶なのかもしれませんね。

嫌な思い出もそう。

でしゃばって失敗して、誰かの大切なものを壊して、自分の大切なものも壊されて、家族とはうまくいかず、思う様に生きられず、普通の子になりたくても限界で全て放棄してしまったような過去を、将来の夢も言えないような挫折と人生を、それら全てを否定していては今の自分と過去の出会いに悪いから。

今の自分がそれほど大切ではないと考えても、どれほど嫌いでも、忘れたいと思うほど苦しむのはやっぱり意味のある痛みだと思うから、少しくらい今の自分を肯定したいし、他の方も自分を肯定して前に進もうとしてほしいと勝手ながら考えてしまいます。

 

未来を作るのは過去と今の自分

上記で嫌なことを含めて今の自分がいるという話をしました。

それなら未来も同じこと。

今生きているこの現在も常に過去になっていくのだから、未来の自分は(過去を含め)今の自分が作っていき、その道中、また忘れたいと思えるような経験をするかもしれない。

できる事ならそんな経験はしたくないと思うのが自然。

私がそうです。

嫌な思いをする未来なら要らないと思ってしまうし、今の自分も好きではないから過去の嫌な記憶を、恨めしいと思うし忘れてしまいたいと思う。

けれど同時に、そういう経験がないと自分は後悔もできないと恐れを抱き、未来はもうちょっと頑張ろうという気持ちになれています。

ネガティブなものとして思い詰めすぎない

恥の多い人生、傷ばかり付いた人生、傷ばかり付けてきた人生、後悔と挫折と絶望にあふれた人生――――だった。あるいは、今もそう。

忘れたい、忘れさせてほしい、楽になりたいと思い続けて何も反省も行動もしないならきっと過去をやり直さなくても未来でも同じことをしかねない。

だからきっと、過去をある程度肯定する必要もある。

忘れるべきではなく、過去の記憶を受け止めて前へ進もうとしなければずっとずっと自分は過去のまま。

このままでいいのか、このままでいいのか、そう自分に問いかけ続ける。だったら全てを忘れてしまおうとするより、少し前向きに生きようとした方が今は楽になれるのかもしれない。

そのままネガティブな気持ちのまま生きるより、心を壊してしまうよりはよっぽど……と私は考え、これを願います。

最後に

結局はまだ死んでないので未来を見ようぜって感じです(まとめ方雑)

同じことの繰り返しになりますが、忘れたい思い出も自分の一部なら中には忘れるべきではないこともあると思います。

ポジティブに生きる為に忘れる、という事ならいいのかもしれませんが、忘れることで本当にポジティブに生きられるかはそうなってみないとわかりませんよね。

かといって忘れられる装置を自由に使っていいと言われて使う勇気は私にはありません。その先が怖いし。

この数十年の記憶と胸が痛むような思い出を持っている今の自分の方が、無い自分よりよっぽど信頼に値するような気がしますね。

 

嫌だった思い出は他人に優しくするために使いたいし、良かった思い出は自分が幸せだと思えるために必要と感じ、私は忘れるべきではないかもと思考、これを肯定し、出来る限り前へ進んで行こうと思います。

明日からも頑張って生きます!!!